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2005年11月03日

災害とたたかったまちを訪ねて(その2)

不知火からフェリーで島原へ。1万5千人の死者を出し「島原大変肥後迷惑」と称された1792年の雲仙普賢岳噴火・眉山崩壊から200年目、1990年から5年を越える火山活動で「平成新山」をつくった大噴火とたたかった島原市を訪ねました。simazu3.jpg

写真中央、茶色の山が「昭和新山」、その左奥が雲仙普賢岳、右が眉山。今回噴火による火砕流と土石流が島原市街地に来なかったのは、眉山のお陰、と聞きました。

 「ひげの市長」として有名になった鐘ヶ江管一前島原市長の「普賢、鳴りやまず」(集英社文庫)を読みました。避難勧告地域に入ったマスコミ関係者、警戒に当っていた消防・警察関係者など、火砕流による43人もの犠牲者を出した責任を自問自答しながら、被害者救済、復旧、防災対策での悪戦苦闘が綴られています。災害対策基本法、災害救助法も、被災者の生活再建には公的支援しない点に対して、「特別立法」を求めて、県・国と粘り強い要請・交渉を繰り返すところは圧巻です。
 自然災害に対する国の責任と、被災者支援を明確に規定した、災害基本法、災害救助法改定が、いま切実に求められています。
 

記事 小山ひろみち : 2005年11月03日

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