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2005年12月03日
日中友好協会倉敷支部の結成の集い
準備を重ねて来ました倉敷支部の結成をしました。来賓として協会本部副理事長丸山至氏。本部中国ブロック担当理事三戸信治氏が祝辞を述べました。また開会に当たって岡山支部理事長の竹内和夫氏が歴史と伝統のある岡山県の日中友好運動の歩みを話されました。支部結成は、全国的にも久々のことのようです。
支部長ーー大森久雄。理事長ーー栗本泰治氏を選びました。
写真はオープニングを華々しく飾って「彩雲追月」(南の花嫁さん)「何日君再来」を中国語で歌う理事の河田千春さん
まず、日本と中国との歴史を知ることが大切だと思います。そのなかで、戦時中に中国に置き去りにされ歴史の中で、忘れかけられている中国残留日本人孤児の問題を正しく知り、彼等を助けていく運動をしようと思います。その原告だんの団長高杉久治さんも本日の集いに駆けつけてこられました。時あたかも明日から「人権週間」が始まります。高杉さんの「人間を返せの」訴えが聞こえるようです。
投稿者 大本よし子
コメント
日中友好協会とは、思えば35年のながーいおつきあいです。天理大学中国学科のとき共産党の先輩に半強制的に?読者にされ、会員になりました。
学生時代はほぼ全面的に文革とその余波で、学科会室へも入らせてもらえず、朝、ビラを配ろうものなら、その日は必ず授業中に露骨な嫌味をいわれ、文革礼賛派の学友がさもこばかにしたように私を見ていました。悲しいことに我々の方が圧倒的に少数派だったのです。卒論をかくときまでじゃまされました。文革礼賛派の教授に当たった私はろくに卒論指導してもらえず、ひたすら京都の人文研に1人で通う日々でした。
当時中国に行くためには脱走派の主催する団体に加入しなければならず、その団体の推薦をうけて次々に渡航する学友は皆肩で風切る勢いでした。
しかし、ついに時代は変わりました。我々が正しかった!「『赤旗』の北京支局が開かれた」という大きな記事を読んだ日のことは忘れることができません。
私は本職は吟詠家ですが、傍ら20年以上中国帰国者自立指導員を続けています。結成の日に来賓で帰国者原告団の団長・高杉さんが来られていました。彼の話に出てきた、KさんもUさんも私が担当してきた人です。担当を離れて以後、原告団の一員として活発に活動されているとは全く知りませんでした。
(恥ずかしながら)長らく(何もしない)理事を続けてきました。倉敷に支部ができたので、私にもできる活動を手探りしたいと思います。
投稿者 河田千春 : 2005年12月04日 21:11
コメント有難うございました。千春さんとても素敵でしたよ。中国と日本の掛け橋のため私も頑張ります
投稿者 大本よし子 : 2005年12月06日 22:31