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2005年12月29日
水を飲む時は、井戸を掘った人のことを忘れるなーー中国の言葉です
倉敷市水道局玉島営業所の玄関横に「水道紀功碑」という碑があります。(写真)
この碑は大正13年3月、当時の中塚一郎町長他4名の建碑委員によって建立されたものです。
碑の前にある説明看板の内容を記します。
「我が玉島町は200余年ほど前に海を埋めて町をこしられたところである。だから地質は塩浜であるので、なかなか清水が得られないため、住んでいる人々は長い間困っていた。ところが明治45年、広瀬正雄君が町長になって、いろいろと苦心の末に、高梁川のほとりの上成に井戸を掘り、さらに貯水池を吉浦、狐島の2箇所に設け、ここから鉄管で町まで水を引き、人家に給水する計画を立て、大正4年に着工し、翌5年6月に竣工する事ができた。この工事費は68,600円余りかかった。
こうして清水が豊かに得られたので、住民はやっと水の悩みが解消したわけである。こういうわけで、碑を建てて永く広瀬君の功徳を忘れないようにする次第である。」とあります。
さて、2005年もあと2日で終わろうとしています。
今年の1月寒風の中私の8期目の勝利のためご奮闘下さった後援会の皆様本当に有難うございました。「市民の目線ではっきりものを言う」公約どうり頑張りました。戦後60年の節目の年を、力一杯生きました。沢山仕事もさせてもらいました。その影には職員をはじめ、多くの方々のお力添えがありました。
忘れられない67歳の年です。私が「市民の目線」で書き綴った「よし子の微笑みブログ」間もなく5000の来訪者を迎えます。ここまで育ててくださったすべての人々に心をこめて謝謝。
来訪5000の方にお願いします「記念のコメントください」
投稿者 大本よし子
コメント
「新修・倉敷市史」によると、「市域で一番早く上水道を敷設したのは玉島町で、起工は大正3年4月(1914年)、竣工は同5年1月であった」と書かれている。全国でも大正9年の段階で78カ所しかなく、岡山県下では岡山市と玉島町のみであった。「玉島こぼれ話」にも水に苦労した話が出てくるが、その当時の事情から判断すると、疫病の流行から町民を守ろうとした広瀬氏の英断と考えられる。
投稿者 TK : 2005年12月29日 20:52
コメント有難うございました。ますます元気が沸いてきました。
あなた様にとって新しい年が、すばらしい年となりますよう心から祈念いたします。健康に留意し更なる飛躍を目指して頑張ります。
投稿者 大本よし子 : 2005年12月29日 21:49
5008でした。ますますのご発展をお祈りします。
投稿者 TAKA : 2005年12月29日 23:43
タカさん新しい飛躍のきっかけを作ってくださって有難うございました。来年もいろいろお力を貸してください。よいお年を。
投稿者 大本よし子 : 2005年12月30日 10:33