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2006年06月29日

「私の6月29日」②--私は岡山市で空襲に遭いました

(昨日の続き)
4人で逃げているうちに、人波に押され気がつくと母とはぐれてしまいました。次兄もいません。長兄と私は、しばらく立ち止まって待ちましたが母の姿はありませんでした。そこへ長兄の同級生(岡工1年生)がやってきました。兄は私を同級生に頼み母たちを捜しに行きました。火の粉はぱらぱらと落ちてきます。じっとしていることは出来ません。兄の友達といっしょに逃げました。ーー後で次兄に聞いた話ですが母は半狂乱になって私の名前を呼びながら火の粉の中を探し回ったそうですーー姿を見つけいくら呼んで追いかけても綿の入った防空頭巾を被った私には聞こえる由もありませんでした。やっと母が私に追いつ
いた時、「芳子のバカ!」とほっぺをたたかれました。

アジサイ.JPG

(写真は我が家のアジサイ<墨田の花火>)


旭川の河原には、大勢の人がすでに逃げてきていました。白木の箱とお位牌をしっかり抱きしめた女性が、泣きながら旭川の中へどんどん入っていく姿ーー61年たった今でもはっきりと覚えています。ーー
母はじっと目をつぶって手を合わせていました。岡山城が炎となって旭川に崩れ落ちたのは、それからまもなしのことでした。ここも危ないと覚ったわたしたちは、河原を遡って逃げました。
途中で何箇所も鉄条網を張り巡らせた大きな塀に出くわし、行く先を阻まれましたが何とか乗り切り三野公園まで逃げていきました。三野公園についた頃はもう明るくなっていました。(明日へ続く)

投稿者 大本よし子

コメント

うわさでは、聞いていましたが大本さんは空襲に遭われたんですねその体験がしっかり生きて現在の大本さがあるのですね。感激しました。

投稿者 寛 : 2006年07月02日 11:18