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2006年06月30日

「私の6月29日」③--私は岡山市で空襲に遭いました

(昨日の続き)
夜明けを待ってましたと云わんばかりに、米軍機が低空飛行でやってきて今度は右往左往している人間をめがけて機銃掃射です。私たちの目の前で撃たれた人もいました。あわてて木陰に駆け込み難を逃れ米軍機が去るのを待ちました。
誰が云うともなしに人はぞろぞろと焼け跡の我が家を目指して移動を始めました。街中が焦げ臭く、火はいたる処でくすぶっていました。私たちが焼け跡の我が家に帰ったとき、父はすでに帰っていました。
無事の再会を喜び合いました。父の顔は煤で汚れていました。後で父から聞いた話ですが父は我が家の軒が落ちるまで、家にいて大切なものの持ち出しをしたそうです。
家族の安否を確認した父は、直ちに町内会の役員としての仕事に就くため、被災者の収容地である弘西小学校へと引き返していきました。

弘西小学校には、大勢の人が集まっていました。握り飯とたくあんが配られました。私はそれを必死で食べました。そして食べながら周りの大人の会話に耳を傾けました。
小学校の「奉安殿」(天皇の写真が祭られているところ)にわが身の危険も省みず天皇の写真を持ち出すために行った若い女の先生が、火の中で逃げ場を失い防火水槽の中で天皇の写真をしっかりと抱えて死んでいた話。私の家のすぐ裏の家に焼夷弾が落ち、病で寝ていた奥さんはその直撃をうけ粉々になって骨も拾えぬほどになったこと。など聞きました。これは小学校2年生のときの悲惨な、恐ろしい私の戦争体験です。

投稿者 大本よし子

コメント

大本さんが、岡山空襲の被災者だということを初めて知りました。また岡山でもその体験を若い方々に語りに来ていただけたらと思います。今年のピースキャンドルは辻野前議員に語り部になっていただきました。いつの日かそういう企画ができるように楽しみに頑張ります!!

投稿者 竹永光恵 : 2006年07月02日 23:53

竹永さん
読んでくださってありがとうございます。わたしの体験をほんの少しですが議会でも、触れたことがあります。あらゆる機会に語り継ごうと思っています。

投稿者 大本よし子 : 2006年07月03日 09:11