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2006年08月14日
「民権ばあさん」楠瀬喜多小論(公文豪著)を読みました
先日高知市立自由民権記念館より写真の冊子が送られてきました。私は同記念館の友の会会員です。私は「自由は土佐の山間より発した」この言葉がとても好きです。また誇りとしています。なぜなら私の父は高知人ですから。過去何回か女性参政権と楠瀬喜多について調査したことがありますが、公文氏の「楠瀬喜多小論」は時代背景を克明に書いておられるのでとても興味深く読みました。とりわけ当時の地方自治制度と選挙制度について勉強させていただきその背景がよく分かりました。また
もう1つ腹落ちしたことは、楠瀬喜多を出現させたのは立志社の民権自由論が言論活動を通じて、土佐の民衆の中に広く入って行ったことによるものだと言うことです。
ずーむ「楠瀬喜多」とは
彼女は夫、楠瀬実の死去後の明治11年区議会議員の選挙で投票できず「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。本来義務と権利は両立するのがものの道理、選挙権がないのなら納税しない」と県に対して抗議しました。しかし県には受け入れてもらえず、喜多は内務省に訴えたこれは婦人参政権運動の始めての実力行使となりました。
婦人参政権が認められたのは1945年10月ですが、それより60年前にかくして高知市上町町議会で日本ではじめての女性の選挙権・被選挙権が認められたのです。
それからわずか4年後の明治17年日本政府はそれまで各区町村が独自に規則を設けてよいとする「区町村会法」を改訂し規則制定権を区町村会から取り上げ、婦人を町村会議員選挙から排除しました。その後、日本で婦人参政権が復活するまで60年以上の歳月が流れることとなったのです。
投稿者 大本よし子
コメント
拙著をお読みいただき有り難うございました。写真入りで紹介までしていただき恐縮です。
岡山は、日本で最初の女性団体「岡山女子懇親会」が結成されたところです。これまでその規則は新聞掲載のものでしか知られていませんでした。ところが、牛窓で晩年を送った高知・佐川出身の漢学者・自由民権家の山本憲が作成にかかわっており、彼の遺品の中から同懇親会規則(小冊子)がみつかりました。高知へおいでになる機会があれば、ご覧に入れましょう。
高知は女性参政権発祥の地、岡山は景山英子などが団結して敢然と女性解放の闘いをすすめた所です。その誇りを胸に、これからも議会内外で頑張ってください。
偶然にもブログを拝読させていただいた、そのお礼です。
投稿者 公文 豪 : 2006年09月26日 00:33
公文様
先日は、ご訪問いただきありがとうございました。光栄です。私は父が高知ですので、高知には特別の思いがあります。私は、旧姓が土居です。高知にはよく行きますので、その節はぜひ拝見させてください。明日は議会の最終日です。私のブログ時々覗いてくだされば幸いです。今後ともよろしくご指導ください。
投稿者 大本よし子 : 2006年09月28日 20:11