2006年08月15日

大山の花(私の大山花紀行⑧)ー岡虎ノ尾(おかとらのお)

トラの尾.JPG
(写真は、おかとらのお 鏡ヶ成湿原にてーー8月5日)
    さくらそう科 根元のほうから先端に向けて花が咲き上がっていきます。この花の穂が「トラの尾」のようなところから命名とのこと。-そうかなー実際は猫のしっぽくらいだけどー

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2006年08月14日

大山の花(私の大山花紀行⑦)-姥(うば)ゆり

姥ゆり.JPG
(写真はうっそうと茂る老杉の中に大神山神社奥宮に通じる苔むした石畳が続きます。その参道沿いに咲く姥ゆり-8月5日13時撮影)
花盛りの頃には根元の葉が枯れて欠けていくことがあるので葉の無い歯なしの姥(うば)に例えて
ウバユリの名が付いたそうです。昼でも薄暗い苔むした石畳を歩けばその数3000とも言われた勇猛無比の僧兵が活躍していた頃にタイムスリップしてしまいそうです。

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2006年08月13日

大山の花(私の大山花紀行⑥)ーヨツバヒヨドリ

ヨツバヒヨドリ.JPG
(写真は、イモリ池周辺のヨツバヒヨドリ。8月5日AM8時20分撮影)
    ヨツバヒヨドリも自然史博物館の学芸員に教えてもらいました。わたしは秋の七草の「フジバカマ」だと思っていました。ヨツバヒヨドリはアサギマダラという蝶にとってはなくてはならない吸蜜植物です。
象山の麓の湿原には群生していました。象山は私の体力測定の山です。毎年5月の連休のとき孫たちと登ります。ところが今年は登っていません。昨年国体開会式に行く途中で転び強く左すねを打ちました。それ以後時々痛むようになり調子がよくありません。遠近両用メガネは時々バランスを崩します。

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2006年08月12日

大山の花(私の大山花紀行⑤)ーチダケサシ

チダケサシ.JPG
(写真はイモリ池周辺のチダケサシー8月⑤日AM8)
   当日は花の名前を覚えていたのですが、忘れてしまい昨日美術館に行った時隣の自然史博物館に行き、学芸員に名前を教えてもらいました。博物館は「恐竜ワールド」入館10000人達成で沸き返っていました。私が写真を示して「この花の名前?」と学芸員さんに尋ねますと、即座に「チダケサシ」と教えてくれました。 
 「烏が山がこんなに写るのは珍しいですね」と言われました。まさに写真は「一期一会」ですね。
チダケサシは「乳茸刺」と書きます。この名前は茎が細く固く、乳茸(チダケ)という食用キノコを採ったときこの草の茎に刺して持ち帰る風習があることから命名されたとの事。花言葉は「落ち着いた明るさ」

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2006年08月11日

大山の花(私の大山紀行④)ーくるまゆり

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(大山鏡ヶ成にてー8月5日)
   好評いただき調子に乗ってーー大山紀行パート④です。
最初鬼百合だと思っていましたが、「車ゆり」です葉が車輪のように付き、花のそり返りが花弁が後ろ手で触れ合うほど強いのが特徴との事。鬼百合は中国からの帰化。ところが車ゆりは純国産。

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2006年08月08日

いもり池とさかさ烏が山(からすがせん)ー大山紀行②

烏が山.JPG
(写真は、日本のマッタンホルムとも呼ばれる烏が山ー8月5日 A M 8時)
   長男が子どもの頃絵画教室に通っていました。先生は中村達郎先生でした。その先生が烏が山がお好きでアトリエに大小さまざまな烏が山の絵がありました。それを見ているうちに私も好きになりました
いもり.JPG
(写真はイモリ池から上がってくるイモリ)
イモリ池の周囲を歩いているとそれこそ踏みそうになるほどのイモリがいました。昔中学校の理科の授業でイモリについて学んだとき先生(男性)がイモリを黒焼きにして粉にして好きな人にかけると「惚れてくれる」イモリの惚れ薬の話をしてくれました。それを今も覚えている私っておませの中学生だったのかなー。

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2006年08月07日

高原の朝ーーとても幻想的です(大山紀行①)

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(写真は 大山鏡ヶ成、8月5日AM5時40分)
孫たちは昨夜の夜空の観察?(8月4日)で、疲れてぐっすり眠っています。心が洗われる一時です。


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2006年06月19日

梅雨晴れ間の網干し

梅雨晴れ間.JPG
(写真は黒崎公民館前の黒埼漁港)
この地区は、浸水のひどい地区です。写真の公民館もよく浸水します。背後に大きな山を抱えていますが、それに対しての内水対策が極めて不十分の上に人工島が出来たことによる潮の変化による高潮被害が大きい地域です。この地域の浸水対策計画を早急に作ることを今私は求めています。
昨日「大正琴コンサート」に公民館へ行きましたので梅雨晴れ間の漁港風景を撮りました。

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2006年03月21日

私の好きな文学館②ーー越前自然文学資料館

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1992年10月オープンした越前自然文学資料館裏側には、越前ゆかりの作家や、詩人に由来した文学の道があります。地元出身の作家・文学者のほか、その風景や新鮮な海産物に魅せられ、度々越前町を訪れた開高健や水上勉、宮本輝、楠本憲吉。石碑には彼等の詩や小説が刻まれています。私はこの文学館から早春の日本海を望みながら、その碑を訪ねるのが大好きです。

越前水仙と文学
旅は孤独を味わせる。と同時にかみしめる孤独から勇気を培うものだと私はかねがね思うているが、
越前岬ほど、私に人生を考えさせた場所はないようである。
 黒い断崖に風が吹きすさび、その丘に、なぜ、あのような花が咲くのだろう。黄色い水仙であった。冬の凍て土に花が咲くのだ。(水上 勉  負籠の細道)
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越前岬周辺の早春はすばらしい。海にのぞむ段々畑に水仙が咲き乱れるからである。
春先の日本海の怒涛と可憐な水仙。海の青と水仙の黄。この動と静の対比は、自然の技巧としては、見事すぎるくらいだ。(楠本 憲吉   旅に美味あり)

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2006年03月12日

昭和モダンフォト展に行きましたーー玉島雛祭協賛行事終わる

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2月11日から今日まで玉島のお雛さま展示行事がありました。この行事は玉島商店街振興会、玉島おかみさん会、玉島商工会議所女性会、などで組織された実行委員会によるものです。期間中玉島地区の6つの商店街が、創意を凝らしたいろいろなイベントをしました。その中の通町商店街の「昭和モダンフォト展」に行きました。

0昭和20年代の玉島湊、霞橋、当時のファッション。
0昭和30年代の通町の歳の市、土曜夜市の「仮装行列」など懐かしい写真がありました。また昭和10年代の郵便局のオフィスガール、昭和18年頃の防火演習の写真、大正初期の小間物店の写真などがありました。
特に懐かしく思ったのは、玉島湊風景です。当時みかん船が来るのが楽しみでした。船着場につく前に、痛みかけたみかんを、どんどん海に捨てていましたそれを掬い上げてよく食べました。海水の塩味がきいてみかんの甘味を引き立たせとても美味しかったのをそのあじを今も覚えています。

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2006年03月07日

我が家の前の梅が満開です--原稿書き上げました

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議会原稿書きの真っ最中、宝亀のMさんより電話がかかりました「いますすめられている、漁港整備工事で、潮の流れが変わり、台風が来たら我が家に高波が押し寄せる、ぜひ見に来てくれ」とのこと。
議会中で、なかなか昼間いけないが、明日朝早く訪問してみよう。玉島の沿岸地域はもう台風の心配です。胸が詰ります。災害のない安心して暮らせる地域を目指して今年も東奔西走で頑張ろう。

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2006年03月01日

出石のシンボル・日本最古の時計台ーー辰鼓楼(2月28日)

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調査・研修後「出石精和園」の園長さんのご好意で、辰鼓楼のある出石城に連れて行って下さいました。出石は但馬の小京都とも呼ばれています。この辰鼓楼は出石城の大手門の見張り櫓としてと、藩士の登場時刻の辰の刻(午前8時)を知らせる太鼓を打ち鳴らした所との事。今も往時の面影を偲ぶ事が出来ます。

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2006年01月31日

私の好きな冬景色ーー身知らぬ柿

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こんなに生るとわが身は折れてしまいます。それでも必死で生きています。その健気な姿に心が惹かれます。わが身も省みずーと言うところから身の程知らず、身知らぬとなったのでしょうか。
(2006年1月29日、-玉島陶にて)
私の日記まもなく6000の来訪者を迎えます。6000番目の方記念のコメントお待ちしています。

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